13年前の、2004年7月18日・・・それは忘れもしない出来事です。
その日は日曜日でした。間違いなく・・・なぜかというと、消防団の操法大会当日だったからです。私は選手で、1ヶ月半くらいの練習を重ね、まさに本番という場面でした。
早朝に大会のため準備をし出発しました。雨がひどかったのですが、大会中止の連絡はなく会場へ!
消防団は全分団集合でした。
しかし益々雨足がひどくなる・・・
いつのタイミングかは忘れましたが、中止のおふれがあり、各分団は地元を巡回して警戒に当たるようにとの指示。。。その時はまだ河和田や福井がひどくなっているとは思ってもみませんでした。我が地区も用水路などは見たことがないくらいの地面すれすれ。何カ所かは土のう袋を据付しました。
そして消防団でお店に入り、朝食だったか昼食だったかは定かではありませんが、そのころから市役所などからバンバン電話があり、弊社が保守メンテしている排水機場が操作不可能など、対応を迫られました。
すぐに社員に連絡を取りそれぞれの現場に向かい対応!私は北中山排水機場にて市の職員さんと一緒に手動のバルブを開閉しにいきましたが、ほんの3~4メートル先が水がついて行けない。自衛隊のゴムボートでいきました。水圧で開閉ができない。やむなくなすすべもなく排水機場は水没したのでした。
そして東陽中学校から落井町一帯は孤立。たくさんのお年寄りの人が、自衛隊のゴムボートで救出されるのを見ました。
それからは、「発電機を貸してほしい」「投光器はないか」「漏電している」「復旧は」など仕事の電話でパニックに・・・
一応冷静に対応したつもりではありますが、的確な対応だったかどうかはいまだに不明です・・・
何しろ初めての経験と恐怖、そしてどこから手をつければいいのかの優先順位の難しさ。。社長になってまだ半年くらいの私には動くしかありませんでした。
それからというものは、JCでのボランティア活動や、仕事での漏電復旧など1か月以上はまともな仕事はできませんでしたね・・・
今や、各地で豪雨・大雨の被害が拡大しています。もしかすると「福井豪雨」はそのはしりかもしれない・・・
もうそんな経験はしたくないですね。
どうか世の中の豪雨被害が静まりますように・・・